Sun, Jan 10

  • 00:02  .@j1ichikawa あの界隈にいらしたのですか?バブルの前ならもっと「江戸」な景色が残っていたんでしょうね。ちなみに資料館は佃島タワーマンションの1Fにとてもひっそりと入居しています。無料なのですが、水曜日と土曜日しか開いてないのが勿体無いです。
  • 00:19  @j1ichikawa ドックがあったころというと、工場が移転する更に前ですね。工場の槌音やサイレンが近隣に響いていたのでしょうか?豊洲の激変ぶりは僕もびっくりした位なので、地元であれば尚更でしょうね…。  [in reply to j1ichikawa]
  • 00:37  資料館で驚いたのは「原図場(げんずば)」という大空間。CADが無かった時代、設計図から実際の部材を切り出すために、体育館の木の床のような所に墨で原寸大の船体の図を起こし、それを木材で型取りしていたらしい。戦艦大和建造の際の記述→ http://bit.ly/5niXBQ
  • 00:48  そういえば永代橋の銘板には川崎造船所の施工とあったし、勝鬨橋IHIの施工だという。その図面は船舶と同じ原図場で、熟練の職人の手で起こされたのではないか?たしかにあのアーチの曲線には、どこかCADの線と異なる、同時代の航空機や船舶のフォルムに通じる優美さがあるように思う。
  • 01:34  資料館を出て住吉神社へ。鳥居にかかる陶板が面白い。高層マンション群のすぐ足元のこの一角だけ、戦前の下町の雰囲気が奇蹟のように残っている。昔ながらの売店で、子供たちがたわいもない買い物をして、また何処かに駆けていく。一瞬、自分がいる時代の見当識を喪う。「誰そ彼どき」の不思議さ。
  • 01:47  http://bit.ly/7ddNGS 神社の近くでこの看板を見かけてなんだろうと思っていたら、本当に幟旗の柱を埋めて保存していたとは!大幟は3年に一度立つそうで、写真を見る限り意匠は「江戸の幟旗」展でみたものに極めて近い http://bit.ly/6ouoi0 次は来年。

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