2008-01-01から1年間の記事一覧

常に生まれてくる。

常に新しく、古びることのない作家は、いつもこの世に新しくやってくる者たちのために作品を作っている。初めて世界に触れる観客たちとの出会いによって、作家は繰り返しの宿命から解き放たれる。無数の新鮮な出会いに恵まれた作品が「同じ事の繰り返し」に…

デジタル技術による根源への回帰

歴史的な文脈を踏まえて自らの進むべき場所を定めなければならない。 内的・外的な必然性への徹底的な考察を踏まえないで行われる表現に意味はないし、そもそも時の経過に耐え続けることは出来ない。モダニズムの圧倒的後退。あるいはそれは、モダンの根源に…

生命と情報

生命の誕生を駆動したのは、自己組織化を要求する情報だったのではないか。進化=外界の情報の取り込み・ミラーリング 情報の取り込みの自発的暴走として生命の誕生を考える。最初期に起きた進化のインフレーション。

「手に触れるものだけが本物」なのか

『電脳コイル』で問われた問いは、実はアニメーションそのものの根底に迫るような深みを持ったものだった。もし「手に触れるものだけが本物」であるならば、アニメーションは人の心に訴えるための存立基盤を喪うことになるからである。人間が作ってきたもの…

ミレイ展@bunkamura

ミレイは写実を極めた者として、晩年に何を見ていたのか。独特の、仙境に入るにも似た風景画の世界がある。 メディアとしての繪畫。『オフィーリア』の前で2時間も佇み、感極まって涙するものも居たということ。当時絵画は「映画」だった。 ファンシーピク…

リアリズムに踏みとどまる事の意味

揺らぐリアリティ。 次々に開かれるリアリズムの画家たちの展覧会。「向こう側」に分け入る手段としての写実。 魔術的リアリズム。 宮崎駿。ファンタジーが飛翔する瞬間。(なかなか向こう側には行かない) ・藤幡講演の感想 真の近代を経ていない日本の大衆…

セントジョセフ

ゴチックの大聖堂(ランス大聖堂)の柱に設置された彫刻。今回の最大の収穫は、いつも描いている距離から少し離れたところに、モチーフの構造がきちんと把握できる位置を発見したことだ。高々十数センチほど遠ざかっただけだが、そこからは驚くほどスムース…

舟越桂講演

思っていたよりも落ち着いた、しっかりとものを考えながら表現をしている人、という感じだった。制作途中の様々な工夫(頭部の位置を決めるための合わせ鏡とか、ゴムバンドの伸びを表す区切り線とか、彫刻を浮かす曲げ木の技術とか)に、生まれ持った工学的…

「切通しの坂」を通る。

笹塚から裏道を通って明治神宮の参宮橋門に向かう途中、偶然岸田劉生の「切通之写生」に描かれた坂を通りがかった。確かに言われてみれば、あの急勾配の印象がうっすらと残っている気がする。このあたりに住んでいたと聞いて、突然身近な感じがしてきた。だ…

「痛みが美に変わる時〜画家・松井冬子の世界〜」

さっきまで、ETV特集の再放送を見ていた。と云うより、すっかり惹き込まれてしまっていたと云うのが正しいかも知れない。 この松井冬子と云う画家の人間像に、新しい日本人の姿を見た気がする。 驚くべきことだが、この人は「本当に自分が言いたいこと」の為…

絶望の奥にあるもの

まったく上手くまとめられないけれど、考えなければいけないこと。 今進行しつつある状況を、きちんと見つめていなければいけない。思考を停止してはいけない。 「人間までカンバン方式」 「ここ数年、大企業幹部の収入は増え、一般労働者の収入は減った。各…

ダーウィン伝

『ダーウィン・世界を変えたナチュラリストの生涯』(工作舎)を読んでいる。とにかく、震えが来るほど面白い。これ程面白い読書は、キプリングの『少年キム』以来だ。今は彼が名高いビーグル号の航海から5年ぶりに故国に戻った所で、二段組み・1000ページの…

テラビシアにかける橋

新宿で二度目の「テラビシアにかける橋」を見る。 今日は「黄金の羅針盤」の先行上映があるので、この作品がかかるのは朝の一回だけ。その代り、一番大きなスクリーンで見ることができた。 この作品のもっとも心躍る場面に、VFXは使われていない。主人公の少…

「小さな建築」

象設計集団の富田玲子さんの本「小さな建築」を読む。 「象」の建築活動は、時の権力との結びつきとは無縁だけれど、それ故にこの先100年経っても新鮮さを失わない力があると思う。やさしい語り口調なのに、一つ一つの言葉が胸に突き刺さるのは、それが考え…