舟越桂講演

思っていたよりも落ち着いた、しっかりとものを考えながら表現をしている人、という感じだった。制作途中の様々な工夫(頭部の位置を決めるための合わせ鏡とか、ゴムバンドの伸びを表す区切り線とか、彫刻を浮かす曲げ木の技術とか)に、生まれ持った工学的というか、理系的な気質が見えた。彫刻というのは物質として実在しなければいけないので、こうした感覚が重要なのかも知れない。

人間にこだわって表現をすること、無数の空間・時間の中で「いま・ここ・自分」にしかないものを、己れの中へどこまでも沈潜することによって見いだしていくこと。名をなす事は、自分が懸命に向いていた方向に時代の注目が集まったことの結果でしかなく、はなからそれを目指すことはかなしいということ。

けっして声高ではないけれども、表現に当たって、何を優先すべきか、何に依拠すべきか、自分なりに茫洋と考え、それ故に彫刻の勉強を思い立った理由であるところのものについて、静かだがより明確な形で言葉にされていて、安堵と刺激とを同時に受け取った気がする。