テラビシアにかける橋

新宿で二度目の「テラビシアにかける橋」を見る。

今日は「黄金の羅針盤」の先行上映があるので、この作品がかかるのは朝の一回だけ。その代り、一番大きなスクリーンで見ることができた。

この作品のもっとも心躍る場面に、VFXは使われていない。主人公の少年の眼差しの向こうにある何か、言葉に表わされなかった感情や、朝靄と樹もれ陽、風と雨の織りなす情景に、受け手が己れの五感の記憶を響き合わせて、はじめて結ばれるイメージが、直接心の深い所にとどく。作り手が、受け手の心に潜む力を信じているから、映像は過剰になる前に踏み止まることができている。これは、「エル・スール」や「フィオナの海」がそうであるのと同じ意味で、本当に素晴らしい"映像による児童文学"の達成だと思う。

公式の予告編は日米ともども極めて残念な内容だから、金券ショップで正規の1/3以下の値段でチケットが買えるにも拘わらず、客足ははかばかしくないようだ。今日の数少ない観客も、ほとんどがリピーターだったのかも知れない。

一見した派手さには欠けるし、魅力の源が深いからこそ、それをわずかな時間で伝えるのが難しい。その代り、このままひっそりと上映が終っても、出会った人の口から口へ広まって、やがて届くべき人の元に辿り着くだけの力を、この作品は持っていると思う。そもそも、これほどの純度を保ったままこの世に誕生できた事自体が奇跡に近いのだ。だから今は、その事に感謝するだけで充分なのかも知れない。

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「テラビシア」の脚本をめぐるエピソードは、「ホットチョコレート」のそれを髣髴とさせる。"本当の感情が作品の底に流れている事"が、これ程までに重要な鍵を握っているとするならば、良き物語作者であろうとする事は、同時に自分の命を投出すような覚悟を常に要求される、という事になる。改めて、粛然とさせられる。