ダーウィン伝

ダーウィン・世界を変えたナチュラリストの生涯』(工作舎)を読んでいる。とにかく、震えが来るほど面白い。これ程面白い読書は、キプリングの『少年キム』以来だ。今は彼が名高いビーグル号の航海から5年ぶりに故国に戻った所で、二段組み・1000ページの著作のやっと1/4が過ぎたあたりだけれど、残りが3/4しかないことに、早くもやり切れなさを感じつつある。

「自然」や「歴史」にたいする緻密な観察眼と、明晰極まりない分析。圧倒的なばかりの論理的構築力と、垣間見えるほろ苦いユーモア。英国人の書く文章というのは、どうしてここまで魅力的なのか。「ダーウィン」にしても、これは単なる評伝ではない。彼ひとりの生涯を描くために、その生きた時代、目撃しただろう事物、交流しただろう人々を、恐ろしく詳細な描写を通して完璧に再現することを企図している。どんな映像作品だって、受け手の意識をここまで見事に、異なる時代に「飛ばす」事はできないだろう。活字の力に改めて打ちのめされる。

19世紀が生み出し、20世紀の歴史と文化に巨大な影響を与えた思想家といえば、ダーウィンマルクスフロイトの3人が挙げられるだろう。だが21世紀を迎えた現在、ダーウィン以外の2人の存在感はやや薄れて来ている。ダーウィンに関して言えば、今日職場であったセミナーにおいてさえ、「ヒトゲノムの転写開始サイトの分子進化」が最新のトピックとして話されていて、その知的影響力は今なお絶えることはない。

天文台で仕事をする内に出会った「太陽系外惑星」の検出をめぐる知的昂奮と、シリアスな学問として立ち上がりつつある「宇宙生命学」に刺激され、かねてより持っていた生命科学への興味が復活し、今の職場に移ってからは、生物学の根底をなす「進化」という考え方と、ダーウィンの存在に俄然興味が出てきていた。折しも上野の科博で『ダーウィン展』が始まったのは偶然ではあるけれど、個人的にとても意味深いことでもある。

とはいえ、展覧会に行くのは全て読み終わってからだ。その頃には、メモや手紙、剥製など無数の実物資料を含むという展示品に、まるで活字の世界が現実に出現してしまったかのような憧れを持って接するための準備が整っていることだろう。今からそれが、待ち遠しくて仕方がない。

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「進化」はこの宇宙に於いて、「生命」と他の物質形態を分ける重要な要因である。確かに、ロボットや人工知能が自己複製を行う日がいずれ来るのかも知れない。だがそれらが、自律的な進化を行う日は来るだろうか?人工知能の進化が、やがて人間知性のポテンシャルを超え、質的に異なる発展を遂げるだろうという「シンギュラリティ」論者は、恐らく生命という現象を甘く見すぎているのだ。外界との絶えざる接触による「内観」の創造的再編成は、果たして簡単に人工物によってトレース可能なのか。絶えず変わり続ける外界の状況を自らの遺伝情報に注意深く取り入れ、漸進的に変化していく仕組みこそが「進化」であり、生命の創造性の源なのだ。


ダーウィン―世界を変えたナチュラリストの生涯

ダーウィン―世界を変えたナチュラリストの生涯