「小さな建築」

象設計集団の富田玲子さんの本「小さな建築」を読む。
「象」の建築活動は、時の権力との結びつきとは無縁だけれど、それ故にこの先100年経っても新鮮さを失わない力があると思う。やさしい語り口調なのに、一つ一つの言葉が胸に突き刺さるのは、それが考え抜かれ、実践の中で獲得されてきた真実だからだ。

僕が戦前の建築が好きなのは、それが懐かしいからではない。何よりそれが建った時代には、僕はまだ生まれていなかったのだ。ただ、人と素材と光と風と匂いと、移ろう時間といったものとの豊かな調和の可能性が、みごとに実体化してそこにあることに、いつも感動させられてきた。

今は壊されてしまった同潤会江戸川アパートは、集合住宅の中にひとつの街のような多様性を持った空間が息づいていた。中庭は半ば森と化していて、ベランダから生えている樹さえあった。あの豊かさを現在の中で取り戻し、未来へと残していくためには、「懐かしさ」という概念だけでは無力だ。もっと粘り強い言語化の作業を、象設計集団は行ってきたのだと思う。



それにしても、笠原小学校みたいなところで学びたかったなあ。

ふと、自分が中高と通った校舎のことを思い出す。天文部室は、3Fの旧教室を薄っぺらい合板で3分割した一番奥にあった。あの辺りは扉も壁もかなり適当な作りで、勝手に中を2F建てに改造している部も存在していた。扉が壊れれば、自分達で板を打ち付けて直していたし、鍵は当然自分達のもので、そう云えば界隈ではついぞ大人の姿は見なかった。別棟の生徒会館に至っては、70年代初頭の学園紛争以来学校が手を入れず、壁はすすけ放題、ガラスは割れ放題で、まるで九龍城のような迫力だったと記憶する。

耐震性の問題もあったのだろう、卒業後、こうした空間は消えてそれなりに整備されてしまったけれど、あれは今考えると、象設計集団の言葉で言う「ここにしかない、自分たちの場所」であったと思う。そしてあのアナーキーさは単なる「放置」ではなく、恐ろしく懐の深い大人達による、意識的な「容認」なくしては実現し得なかったのかも知れない。だとしたら、今自分達は、後に続く世代にその自由さを担保してあげられるのだろうか。


小さな建築

小さな建築


◆江戸川アパートメントの写真。たぶん取り壊し寸前の、最後の春に撮られたもの。
http://www.apartment-photo.gr.jp/text206.html