ミレイ展@bunkamura

 ミレイは写実を極めた者として、晩年に何を見ていたのか。独特の、仙境に入るにも似た風景画の世界がある。
 メディアとしての繪畫。『オフィーリア』の前で2時間も佇み、感極まって涙するものも居たということ。当時絵画は「映画」だった。
ファンシーピクチャーや、職人による複製版画の制作と頒布。絵画を取り巻く社会状況について、もっと関心を持つこと。

 美術館はすべての造形を現代の基準で分類して配置するが、時代時代の中でそれぞれの表現物の持つ意味は全く違うことに留意すべきである。共同体のために作られたものと、ルネサンス以降の個人主義の元に作られたもの。パトロンと純粋造形主義、さらに巨大ビジネスとしての現代アート。現今、巨大な資本の力に作家がただひとりで翻弄されねばならない状況は、映画や演劇に比べてもむしろ自由が少ないのではないか。

表現活動のコンテクストを意識しつつ、最終的にはより普遍的な無意識に働きかける事が出来る存在としてのメディアを考える。それは現在のアートの枠組みに収まっている必要はない。定義はいつも後からついてくるのだから。