Mon, Jun 27

  • 00:01  モダニズム」という運動は、本来はそのひな形たるサイエンスと同様、不断にアップデート可能な事をその本質としていたのではなかっただろうか。実際にはそれはすぐに「様式」へと回収されてしまい、その始まりにおいて期待された役割は「失われた可能性」として忘れ去られることになった。
  • 00:16  松村正恒は「薄暗い教室の採光を改善する」という命題のもと、原理原則に立ち返って思考することで、独力でクラスタータイプの教室配置を発想し、自己参照的に発展させていった。それは続くものがその上に立って仕事することができる、本来の意味での「モダニズム」の実践だったのだと思う。
  • 01:01  「『設計』としての保存」という話も印象的だった。日土小学校では「今」の人々の創意工夫を活かした再生が行われている。運よく残っても、人の気配が消えて干からびた標本のようになってしまう建築がある一方、ここでは本当に松村正恒の「肩の上に立つ」仕事がされたのだなと、改めて感じ入った。
  • 01:27  @yoshiakihanada お話を聞かせて頂き有難うございました。自分の呟きが先生のお目汚しになりかねないと思うと身も竦む思いですが、素人の感想ということで何卒お見逃し頂ければと思います。8月は既に予定に入れました。今から本当に楽しみです。  [in reply to yoshiakihanada]
  • 02:36  ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」展。MSゴシックな写真というのは、改めていい得て妙と思う。撮像デバイスがとめどなく拡散する時代に、Helvetica的な写真の「頑張り」はいかにも場違いということなのだろう。イメージそのものより、その置かれ方に力点を感じた。
  • 21:34  RT @TakeoNakano: 東京大学総合研究博物館・企画展「鰻博覧会-この不可思議なるもの」のお知らせ。http://t.co/UmoC8UZ ただいま絶賛図録&空間グラフィック制作中でございます。

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