Sat, Aug 18

  • 10:05  @crysisjake ご教示有り難うございます!CrysisまにあはCE2 SDKの日本語情報を探していたときに見つけたのですが、「中の人」から返信いただけるとは…。例えば英語圏のサイトで、CE3のサンプルから「FPSでないもの」を作る参考となるサイトはありますでしょうか?  [in reply to crysisjake]
  • 10:19  "Dear Esther"の開発者インタビュー(日本語) http://t.co/6rH0qojo ものすごく面白い。「ゲームの環境は単なる背景でなく、ストーリーの一部として機能するはずだと信じています。」やはりこの方向を見据えている人達が出てきていたのか。
  • 10:37  「私のミッションは、物語を支える環境を作ることではなく、環境によって物語をもっと拡大させることでした。ムードや雰囲気、その絶望的な寂しさ、呪われた歴史、そして超現実的な部分を、もっとうまく伝えられるように環境を創りました」前掲インタビューより。
  • 10:39  「それでも、ジャンプしたりしゃがんだり、物を手に取ったり、という基礎的な動作は割と最後の方まで残していました。でも、テスターがウサギみたいにぴょんぴょん跳ねながらペンキの缶をトイレの上に置こうとしているのを見たら(…)雰囲気を壊してしまう、無駄なものにしか感じられなかったのです」
  • 10:51  ICO」がなぜ体力ゲージを消したかという話に通じるものがある。スーパーファミコンくらいまでは、ひたすら画面に情報量を足していく事に意味が有った。何を引き算するかが問題になり始めたのは、PS2ぐらいからだろう。グラフィックの密度と、インタラクションの自由度が齟齬を来しはじめた。
  • 10:57  曰く「見えてるのに行けない」「すごい質感なのに触れない」。体力ゲージで瀕死のダメージを受けていても、主人公の鎧はピカピカで、お肌もつやつや。コンボの手応えは「x5」とかの数字だけ、みたいな状況。これはインタラクションにおける「不気味の谷」だったと思っている。
  • 11:18  体力ゲージやダメージ値のオーバーレイ表示は、ドット絵キャラではそれ以外に表現手段がなかったから編み出された手法であって、ハードのグラフィック能力がキャラクターのリアルな「傷」や「疲労」を表現できるようになって猶それを続ける事は、同種の情報を提示するレイヤの重複になってしまう。
  • 11:26  ワンダと巨像』では、巨像を倒すたびに主人公が少しずつ薄汚れていく。一つ一つの変化は小さく、俄かには気づかない。しかし変化の蓄積がある「閾値」を超えたときに、これまで何が起こっていたかをプレイヤーは愕然として悟る事になる。「架空の環境が息づいている」とはこう云う事なんだと思う。

Powered by twtr2src