回帰

人生は直線でなく、螺旋なんだなとあらためて実感する。周期は12年くらい。多分これが最初の回帰だ。

かつて感じていた魅力、そのうちに色あせてしまっていた魅力が、新たな深みを湛えて自分の前に拓けつつある。

回帰は悪いことではない。モノクロームだった世界が、また色づいて見えるようになるのは、悪いことではない。

今のうちにまた、多くのものを吸収して、12年後に持って行こう。



創造性の根源は、他者との差異やその場限りの新規性を追求する、刹那的な運動の中にあるのではない。創造物は、多くの人がその上に立って世界を見晴るかすための踏み台のようなものなのだ。受け手としての人間一人一人の存在なくして、踏み台に意味はない。万人のよき踏み台たらんとすれば、おのずとその方向は、時代を超え、個々の人間をこえて広がっている存在への探求へと繋がる。

同様に、アイデンティティは、自己と他者とが相異なる事によって保持されているのではない。自己という存在が、どこまでも人間存在以外ではありえないこと、どこまでも他者と共通の基盤を持つということそのものによって担保される概念なのだ。だから、掘り下げるべきなのは差異ではなく、自らの内に潜む共同性のほうだ。個人の中にあって、生命としての揺るがしがたい部分に源を発するものこそが、唯一自己と他者の間を架橋し、強靭な表現として定着しうるものなのだ。



玉川上水で鴨が子育てをしているのを見た。彼らはほかの誰かが子育てをしているから、自分たちもそうする訳ではないだろう。もっと深く、種の遺伝子に刻まれた経験の歴史が、内なるリズムを作り出し、その生命を全うさせているのだ。私もまた同じように、自分の内なるリズムを信じて、存在を全うしていきたい。