回教寺院で考えたこと

(画像出典:東京ジャーミィ・トルコ文化センターウェブサイト

今住んでいる家から自転車で10分ほどの所にある回教寺院『東京ジャーミィ』を夫婦で見学してきました。

小田急線からも見えるところにあって、以前から気になっていたのですが、なかなかチャンスがなかったのです。今回たまたま目の前を通りがかって、礼拝以外の時間であれば、18時まで誰でも見学できる事を知り、お邪魔させて頂きました。

ウェブサイトの「よくある質問」の所に「水とセメントと鉄筋以外のものすべてを日本に送りました。また、トルコ本土から100人近い建築家や芸術職人が送られ、一年間ほど当ジャーミイの建築や装飾のために滞在しました。」と書いてあるように、トルコの職人の技が遺憾なく発揮された、建築というより中に入れる工芸品と云った方が相応しい空間で、その神聖な美しさに感動を覚えずにいられませんでした。

この土地には、1936年に建築された古い寺院が建っていましたが、老朽化のために取り壊されたそうです。館内にはその古い寺院の写真も展示してありましたが、2000年に建てられた、現在の建築の方が圧倒的に素晴らしい。このことは「新しいものが全て悪い訳ではない」という、当たり前の事を改めて教えてくれます。全ては「先人から何を受け継いでゆくか、遙か未来にどのようにありたいか」という、今を生きるものの意志と眼差しの問題なのです。


僕は戦前に建てられた古い建物が好きで、あちらこちら見に行きましたが、今はどれもこれも壊されて敷地内の樹々や草花ともども更地にされ、ありふれたマンションなどが建ってしまっています。そうした場所を通るたびに、在りし日の豊かな空間の記憶が胸の奥で疼きます。古き良きものが失われるのがどうにも悔しいのは、この国に於いては「良きもの」が「より良きもの」で置き換えられることが、まず絶望的にあり得ないからです。我が国の通例とかけ離れた原理によって建てられたものであるが故に、東京ジャーミィの存在は、何が問題であるのかを痛烈に照らし出しているように思います。

たとえば、広重の『名所江戸百景』に描かれているように、かつて東京は町中に泉がわき、清流が滝となって落ち、自然と人工の水路が縦横に巡る「水の都」でした。その決定的な破壊は、東京オリンピックの前後に、卑劣な手段で行われました。まず、用水の要所要所を堰き止めて分断します。流れる先を失った水路は淀み、流入した生活排水がヘドロ化して悪臭を放つようになり、近隣住民からの埋め立て要望の声が役所に届きます。かくて「民意」の元に水路は埋め立てられ、川は暗渠となり、高速道路は天空を覆って、美しかりし水都江戸の風景は完全に死滅しました。


おそらく人が「いま、ここ」を十分に生きるためには、逆説的ですが「いま、ここ」以外に属する何者かにたいして、意識的にせよ無意識的にせよ触れている必要があるのだと思います。過去の一点から現在に向かう補助線を引くことで、はじめて「今」の位置がどこなのかを測ることができるのです。そしてその先に、あり得べき未来の姿を思い描くこともできるでしょう。過去の記憶を消してしまった軽薄な都市の中で、人々はいい知れない居心地の悪さを感じますが、記憶のよすがとなる手がかりがないためそれを言語化することもできずに、行き場のない鬱憤を溜めてゆきます。過去において大切にされてきた規律と価値観もまた失われ、唯一資本の力だけがゆるぎなく輝いて見えるので、人はさらなる過去の破壊と上辺だけの新しさの追求へと身を任せることになるのです。

東京ジャーミイの礼拝堂は、資本の力に拮抗する「もうひとつの価値観」を心の中にもつもののみがなし得る、驚くべき完成度の手業に満たされています。色鮮やかな陶壁や大理石の精巧な床モザイク、説教壇の緻密な透かし彫り、寄木細工の書見台に施された煌めく螺鈿。トルコの全土から寄付された浄財によって作られたというこの空間からは、ただただ無私なる意志が伝わってきて、ひたすら圧倒されます。資本はここでは、せいぜい意志を伝えるための媒介手段でしかなく、けっしてそれ以上の力をもたない。そしてこの空間に一種の緊張をもたらしているのは、自らの仕事の100年後の姿を見据える、職人たちの眼差しだと思います。工事に関わった全ての人間が地上から居なくなってもなお、この建物は確かな祈りの空間であり続けるでしょう。その100年の旅が終わったとき、周辺の建物は幾つ残っているでしょうか。


佐世保の近くにある『黒島天主堂』を見に行ったときのことを思い出します。瓦葺きと煉瓦がとても良く釣り合った、これもとても美しい建物でした。かつては中も畳敷きだったといいます。100年以上の月日を経て、今も現役の信仰の場として使われていました。あそこで感じたのも「資本の力」とまったく無縁な、原材料もない小さな島で、40万個の煉瓦をひたすら積み上げていく事を可能にするような、強い意志の力だったように思います。

(画像出典:長崎県ウェブサイト「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」
大多数の日本人は宗教への意識がうすく、みずからを信仰のもたらす狂気から解放された文明人だと思っている節があります。ですが、職人への尊敬と技の伝統が今も息づき、見知らぬ異国に向けて浄財を寄進し、はるかな未来の世代に向けて信仰の空間を美しく作り上げることの出来るクニと、職人の技もかつて築き上げた美意識が形となった建築や街並の遺産も、その全てを資本に破壊されるがままに任せ、老人の知恵を軽んじ、子供のための投資を切りつめ、「いま、ここ」しかない狭隘な世界に追いつめられて次々と人が自らの命を捨てるようなクニと、いったいどちらがより狂気が少ないと云えるのでしょうか。本当に狂っているのはどちらなのか、今真剣に学ぶべきものが、この目の前の建築の中からいくらでも汲み取れるのではないか、激しい感動を覚えつつも、どうしてもそういう思いに駆られないではいられませんでした。