Thu, Jul 30

  • 21:49 堀内誠一展@世田谷文学館。一線の雑誌デザイナー・イラストレーターでありつつ、多くの子どもの心に残る絵本作家になるには、商業向けでは必須の自意識を鋼の意志で制御する必要があったはずで、海外にもあまり例がないと思う。瀬田さんとの交流が、この奇蹟を可能にしただろうことは想像に難くない。
  • 22:07 会場で97年刊行の追悼文集「堀内さん」を購入。日本の戦後文化には、堀内さんや周りに集った人々が関わった「大きな山」があったのだなあと改めて思う。でも既にそれが去ってしまった事への諦観はあまりなくて、むしろ歴史上に「山」が残されたことへの安堵と、眩しく仰ぎ見るような気分がある。
  • 22:21 これから「幼年期の終り」みたいに、慣れ親しんだ色々なものが滅んでいき、暗やみの向こうから新しくおぞましいものが幾らでも湧いて出て、人類の無意識をめちゃめちゃに掻き乱すんだろう。多分だからこそ、瀬田さんや堀内さんが持っていた「気風」とか「志」を忘れないでいることが大事なんだと思う。
  • 22:39 もちろんTwitterも最新の「おぞましいもの」なんだけど、今さら波に背を向けて逃げ切れるものではないと思っている。塩っぱい水をがぼがぼ呑んで溺れながら、波の上に出る方法を探すしかない。
  • 22:46 藤幡正樹さんが「今自分たちを取り巻く技術が持っている、深い亀裂を直視しなきゃいけない(意訳)」と言っていた。自分が打ち込んでいるのは「ディスプレイ上の文字」だというのは錯覚で、本当はよく分からない電子の闇に情報を放り込んでいるだけだ。
  • 22:50 打ち込まれた情報が、主観的にゼロに近い遅延でフォントのビットマップへと変換されて表示される事が、慣れ親しんだ「紙」の錯覚を引き起こす。リアルタイム処理が、闇の中の亀裂を覆い隠している。
  • 22:52 その実体は紙とインクではなく、そもそも物質でなく、3次元の空間ですらない。電子の闇は、定義を与えない限りいかなる構造も持たない。
  • 23:06 「現実感」は、純粋に演算の稠密度によって決められるだけのものなのかしら。
  • 23:20 逆なのかな?コンピュータに「書く」ことによって、そもそも人がものを書くことに潜んでいた亀裂が見えるようになったんだろうか?少なくとも、電子の闇が3次元空間の制約を受けないお陰で、世界中のつぶやきが交錯するこの場所があり得ている事は確か。