Fri, Mar 04

  • 00:08  日本のマスコミは、本当にいかれてきているみたいだ。香港のホテルで見た中国中央電視台のニュースでは、リビア情勢やNZ地震がトップだった。もちろん自国民の救出や中国の救助隊の活躍がメインなのだけど、検閲や操作が大っぴらなだけ、こちらの方が余程まともでないかと思えて来てしまう。
  • 00:15  ちなみに香港のニュースのトップは、歴史博物館の辛亥革命百周年展のオープニングレセプションで、行政長官が民主活動家の若者に襲われた事件。軽傷を負った行政長官は「香港では言論の自由が保障されているが、暴力に訴える事は許されるものではない」とコメント。
  • 00:28  行政長官の「自由」という言葉には重みがあった。電車で一時間も掛からぬ所にある深センは、日本より小綺麗な地下鉄(絶賛延伸中)や高層ビル、巨大ショッピングモールなど、急速に香港に追いついている印象だったけれど、言論の自由はない。国境を超えると空気が変わるとはこういう事かと思った。
  • 00:39  日本では空気のように見えなくなっている自由とか民主とかいう概念のアウトラインが、ここでは国境という形で可視化されている。物質的な差が少ないだけに(深センに住む香港人も多いと聞いた)、それ以外の違いをどうしても意識させられてしまう。
  • 00:52  http://s.nikkei.com/hquZCE もうすぐ消えてしまうけど、3日付けの日経の「春秋」欄がひどい。それなりに立場のある記者なのだろうけど、日本を代表する経済紙の一面コラムの担当者が、ネットそのものと携帯電話の区別もつかないとは…。
  • 00:54  一部引用:「それにしても携帯とは何なのか。北アフリカ・中東では激動の陰の主役になっている。八百長相撲でも一役買った。…どこにでも顔を出し、とてつもない可能性と危うさを併せ持つこいつの正体を、実はまだよく分かっていない。そんな畏れにとらわれる。」
  • 01:00  「よく分かっていない」ものを咀嚼して、「よく分かる」(少なくとも「判った気にさせる」)ように報道するのがメディアの役目ではないのか。こういう見識の人間が報道の方向性をコントロールしているから、今更ヒステリックなネット叩きに走るのだろう。衝撃的なまでの劣化振りだと思う。
  • 01:10  偶然ながら、旅行中ふと本多勝一の事を考えていた。中学から高校に掛けて、彼の本に熱中した。政治的な立場とセットで語られがちな人だけれど、彼のルポには京大探検部や梅棹忠夫仕込みの、客観的事実を追求する姿勢が滲み出ていたように思う。自分は多分、そこに惹かれていた。
  • 01:23  最初から結論ありきでなく、先入観を廃し、対象そのものにじっくりと向き合い観察すること。そこから理性を頼りにして推論を進め、得た結論を対象と突き合わせて検証すること。こちらから懸命に耳を傾けることなくして、相手の固有の声を聴くことはできない。対象が未知なる存在であれば尚更だ。
  • 01:32  ネットが得体の知れぬ世界だと思うなら、むしろひとりの観察者としてそこに飛び込んでみるのがプロの記者ではないのか。かつて本多勝一が「カナダエスキモー」や「ニューギニア高地人」でやった事を、なぜ同業の人間がネットに対して出来ないのか。結局それが「メディアの劣化」ということなのだ。

Powered by twtr2src