エリック・カール原画展

結婚の前から、築地の聖路加病院近くにある歯医者に通うようになった。歯医者の帰りは、いつも有楽町まで歩くことにしている。この辺りにはバブルを経たにも拘わらず、しぶとく頑張っている感じの看板建築が幾つか残っている。途中の角地にあって、戦前の建物を屋号の立体文字まで含めて綺麗に保ち続けている精肉店は、いつもお客で賑わっていて、すぐ後ろで肉を捌いている店員たちの所作も、きびきびとして気持ちがいい。

雑踏の行き交う中央通りに出て、教文館ビルの脇に入る。この書店の中央通りに面した側はやや手狭な印象があったのだけれど、本当はこの脇の方が正面入口だということを最近知った。エレベータホールの手前にはショウウィンドウがあって、「はらぺこあおむし」などで知られる絵本作家、エリック・カールの原画展を9Fで開催中、とある。普段は6Fの子供の本の店「ナルニア国」に直行することにしているが、今日はそのまま9Fに上がることにした。

エリック・カールの絵本の作り方は前にも聞いたことがあったのだけど、実際に彼が絵の具を塗って作った色とりどりのテクスチャを持った紙(これをいろいろな形に切り抜いて貼り合わせて「絵」に仕上げる)を目にすると、本当に魔法を見ている気分にさせられる。彼はもともと「スイミー」のレオ・レオニの紹介で、ニューヨークタイムズ紙のグラフィックデザイナーをしていたそうだ。


グラフィックデザインやイラストレーションの世界と、子どものための絵本の世界には、もちろん重なる所が多いし、日本でも堀内誠一のように、双方の世界で活躍する人がいた。ただ注意しなければならないのは、絵本には確固とした、描き手の自己主張に優先する世界があり、それは前者の世界の原理とは根本から異なっている、ということだ。

一見絵本のような姿をしながら、その表現がこれっぽっちも子どもの方を向いていない作品を見ると悲しくなる。嫌らしい自己主張が表面を覆い尽くしてしまっているので、そこには読者としての子どもを差し招くゆとりがないのだ。そうした作品は、まだ見ぬ世界との出会いの場所として働くことは出来ない。同じ絵画的な表現手法であっても、この違いは実は相当に深くて、作り手が明確に意識していない限り、乗り越えることは容易ではないと思える。


展覧会をみていると、エリック・カールは、その初めて手がけた作品から、完全に絵本の世界の住人だった事がわかる。絵の中から、読み手へのあふれるばかりの思いが伝わってくる。彼は全力を傾けて、本の中に子どものための遊び場を用意してあげようとしているのだ。

彼は絵本の仕事をすることで初めて、色紙や絵の具に夢中になっていた子どもの頃の自分に再会した、と云う。あるいは自分の中の子どもを再発見し、誠実に向き合おうとしたことが、自己主張(プロとして生きるには、もちろん最低限は必要なものだろうけれど)を超えた場所へと、作家を導いたのかも知れない。

エリック・カールが自らを語るエピソードの中で印象的だったのは、第二次大戦中、ナチ支配下のドイツで彼を教えていた美術教師の話だ。この教師は彼を自宅に招き、隠し場所から丁寧に梱包した複製画の束を取り出した。それはピカソやクレー、カンディンスキーらの絵だった。高校生の彼は、それまで知らなかった自由な表現の形に、強い衝撃を受けたという。こうした絵画は、当時「頽廃美術」としてナチに弾圧され、所持している事が発覚するだけで生命すら危うくなるようなものだった。暗い時代の中で誠実さを守り通そうとした人物が、危険を冒しながら懸命に伝えようとした何ものかを、その時彼は、確かに受け取ったのだ。


芸術が世界を変えられると思うのは、確かに傲慢な考えかも知れない。だが、真の芸術は時代を超え、闇が世界を覆う中でも絶えることのない灯となって、人々の束の間の生を照らし続ける力を持つものだ。商業出版の巨大な枠組みの中では、絵本も児童文学もたしかに小さな存在でしかないけれども、その視点を人間存在にとってのより長く、より広いものへと据え直したとき、本当の輝きをもつ表現とは何かが、自ずから明らかになるのだろう。