聖書図書館と『ケルズの書』

教文館ビルでエリック・カール展を見終わった後、6Fの児童書専門店「ナルニア国」に行こうと階段を下りると、「聖書図書館」という文字が目に飛び込んできた。扉が開け放されたビルの角の狭い一室の中に、隙間無く書棚が並んでいて、真ん中にはどっしりした感じの木の閲覧机が一つ、ぽつんと置いてある。入ると左手前にカウンターが在って、司書さんがひとり、PCの画面に向かっていた。他には誰もいない。

聖書図書館という場所に、あの『ケルズの書』の複製版が収蔵されている事は、以前調べたことがあって知っていた。ただそれがこのビルの中にあったことは、これまで知らなかった。
はじめての場所で、少し緊張しながら、司書さんに「閲覧できますか」と尋ねる。
「できますが、今ちょっと首を痛めていますので、ご自分で運んでいただけますか。」
見れば確かに、首にギプスをしている様子だ。
「いま箱は修理に出していまして」
白いフェルトにくるまれたその本は、思っていたより遙かに分厚いようだ。持つとずっしり重い。閲覧机まで持って行って、渡された白い手袋を両手にはめ、フェルトをゆっくりと開く。これが『ケルズの書』なのだ。


『ケルズの書』は、アイルランドのアイオナ島にある修道院で8世紀に書かれた装飾写本で、「世界で最も美しい本」とも云われる。特にキリストの頭文字XP(カイ・ロー)を組み合わせた装飾頁は有名で、後世の者に人の手ではなく天使の描いたものだ、と言わしめた程の圧倒的な美を誇る。

ローマ帝国の隆盛が衰え、ヨーロッパを中世の暗黒が覆わんとしていた時代、アイルランドが欧州の学問の中心地として栄え、全欧州から学僧がこの島を目指して集まった一時期があった。そこではローマンカソリックとは異なる、土着信仰と融合した独特の寛容なキリスト教文化が育まれ、男女の社会的平等、障害者への差別禁止や、被害者に対する奉仕労働による罪の弁済など、現在から見ても進歩的な内容をもつ高度な法体系すら存在していたという。『ケルズの書』は、このアイルランドの文化的繁栄の頂点に生み出された。


記されているラテン語は、残念ながら殆ど判らない。だが、自分が持っている抜粋された画集と違って、「本」の形をしていることの存在感に圧倒される。一頁一頁、聖人の頭文字や地名なのだろう、精緻な装飾文字が必ず入っており、その獣や人や鳥と複雑な組紐模様が一体となった形は、一つとして同じものがない。もちろん、手写本なのだから、わざわざ同じにする必要もないのだが、これだけ分厚い本の中に一つも繰り返しがないことに、気が遠くなりそうになる。

1/3ほど頁を繰ったところで、不思議な気分になってきた。元々薄かった司書さんの存在感が消えてしまい、周囲の書棚の佇まいも薄れ、ただ自分と、この本だけがその場所に存在しているかのような感覚だ。ラテン語は相変わらず判らないのだが、何かを伝えようとしている感じが強まってくる。中世以降のアイルランドの過酷きわまる歴史を、1200年以上にわたって生き延びてきたこの書物の傍らには、常に自己の生命を賭してこの至高の芸術を守り伝えてゆこうとする何者かの存在があったはずだ。もちろん、これはファクシミリであって、オリジナルではないけれども、今自分が頁を繰っているこのかたちの中に、確かにまだ何かが宿っている、そういう気がした。


次の装飾頁が現れたところで、ひとまず本を閉じる。自分の予定もあったけれど、何より、この書物の中に込められた「人」と「時間」の気配のもの凄さに、少し当てられてしまった。多分次回は、もう少し勉強して、この気配に良く耳を澄ませられるようになる必要があるだろう。ゆっくりとフェルトを閉じ、本を慎重に棚に戻す。

帰りがけ、司書さんに声を掛けられた。
「こちらは初めてですか」
「ええ。ケルズの書が在ることは知っていたのですが」
「この本を見に来られる方は、聖書の研究をされている方より、カリグラフィをされている方が多いですね」
「そうでしょうね。これほど全ての頁が装飾されているとは思っていなかったので、驚きました。今日は全部見きれなかったので、また来ます」
「また是非どうぞ。リンディスファーンもありますので」
驚いた。「ケルズの書」の前に作られ、美しさにおいて並び称される「リンディスファーン福音書」の複製も所蔵していたとは。当面折を見て、この少々不思議な空間に通うことになりそうだ。