「ファンタジーと言葉」

最近邦訳されたル=グィンのエッセイ集を読んでいる。この人は相変わらず鋭い。ネットワークの普及によって新しく照らし出された「言葉」そのものの意味や「小説」という表現手段の立ち位置を、むしろ喜んで測っているようにみえる。齢を重ねてもしなやかで、そのしなやかさゆえに、揺れ動く世界の中で根本から崩れることのない強さを保っている。

子供の精神の柔軟性は、幼くしていまだ依拠すべきところを知らざるが故のものだといえる。翻って成長した後もなお精神をしなやかに保ち得る為には、むしろ日々知ることを繰り返し、自己の一部を破壊して作り変え続けていく覚悟がいる。

歴史を知ることは、己れの根をそれだけ世界の深い場所へと張り巡らせて行くことだ。過去の中には、無数の埋もれた人々の息吹が眠っている。そうした人々との出会いは、ちょうど旅先での出会いの記憶のように、自らの精神を今いるこの場所以外へと届かせてくれるのだ。つまるところ、ある人の表現者としての寿命は、こうして日々過去へと張り巡らされてゆく、精神的な根の深さによって決まるのではないだろうか。